あの日あの時、私はテレビの早朝番組に出ていました。5時30分に番組が始まり、程なく地震の情報が入ってきました。最初に目にしたのが神戸で震度6という表示でした。するとすぐにその表示が消えました。近畿の地図に示された震度の数字の中で、ポッカリと穴が空いたように神戸の震度だけがありませんでした。その画面を見ながら直感的に大変なことが起きていると思いました。しかし、私には打信されてくる震度情報を読むことしか出来ませんでした。結局何が起きているのかわからないまま7時を迎え、番組が終わりました。スタジオを出て各局の放送を見るとNHKの神戸放送局の映像が入ってきました。
NHK神戸放送局のある場所は異人館街の下です。小学生の頃から親しんでいる場所でした。放送局の近くにある木造の老舗喫茶店が崩れ落ちて道路を塞いでいました。その映像を見たときに「終わったかもしれない」と思いました。私と妻は神戸出身です。お互いの実家が神戸にありました。そして妻と長男はその時、神戸にいました。里帰り出産で12月に長男が生まれたばかりでした。その時私は最悪の事態を覚悟してしまったのです。
奇跡的に親戚含め、身内に命を落とした人はいませんでした。私の実家は壊れ住めなくなりましたが、命は助かりました。連絡が取れて家族の無事が確認できたのは昼過ぎでした。それでもかなり早い方だったと思います。何より奇跡だったと思ったのは妻と長男の幸運です。ようやく電話がつながって妻と話したとき、明るい声が聞こえてきたのを鮮明に覚えています。不安な気持ちを打ち消すために、あえて明るくいようとしていたのだと思います。それだけの状況だったのです。
地震が起きたのは5時46分です。普通であれば寝ている時間です。でも生まれて1ヶ月の赤ちゃんは夜泣きをします。ちょうど起きて授乳をしていた時でした。ベビーベッドから抱き上げ、壁にもたれながら授乳中だったそうです。地震が起きた後は無我夢中で外に出て近くの小学校に避難しました。落ち着いてから自宅に戻るとベビーベッドは倒れたタンスの下敷きになっていたと聞いた時、私たちは生かされたのだと思いました。
生かされた命です。それをつないできた30年です。だから私たちはこれからも生かされる限り生きていかなくてはいけないのです。30年経って、ようやく整理できた気がします。
今日はここまで。読んでいただきありがとうございます。