ふと思い出すことがあります。もう40年近く前の記憶です。大学時代にバックパッカーで世界を旅していた頃の話です。卒業を前にして1ヶ月の南米旅行に行きました。インターネットなどない時代です。事前に得られる情報は少ない中、格安航空券とパスポートだけを持ってリュック一つで旅立ちました。その時の経験は今も私の背骨になっています。そんな話を語ります。
LAで乗り継いだアルゼンチン航空がペルーの首都リマに着いたのは夜中のことでした。全く知らなかたのですが当時は政情が不安定で夜間外出禁止令が出ていました。世界中で通じると思っていた英語は役にたちません。挨拶さえわからないスペイン語をポケットサイズの辞書で調べながらなんとか事情が飲み込めました。空港内の旅行代理店を見つけて、少し英語が話せる女性に相談をすると丁寧に対応してくれました。当時は日本人の頼りない若者が一人で危険な国を旅するなんて、あまりないことのようでした。実際、1ヶ月の旅で日本人に出会うことはほとんどありませんでした。クスコの遺跡などでツアー客を見かけたぐらいです。旅行代理店の女性はたいそう心配してくれて旅のプランを作ってくれました。随分と大人に見えた彼女ですが、今思えば20歳前後だったのではないでしょうか。
インカの遺跡を巡ることが目的でしたが、実際には様々なトラブルに遭い観光は二の次でした。それでも遺跡は素晴らしかったですけどね。バスが時刻表通りに来ないのは当たり前ですが、8時間も遅れて平気な顔をしています。おまけに砂漠の真ん中でエンジントラブルです。本気で日本に帰れないかもしれないと思ったことが何度もありました。でも、出会った現地の人たちに救われました。いつまで経ってもやってこないバスを待っている間、事務所の手伝いをしている少年と話をして時間を潰していました。旅の後半にもなるとカタコトのスペイン語は喋れるようになっていました。たぶん中学生ぐらいです。まだまだ子供です。日本といえばサムライとゲイシャしか知りません。ところがバスがやってきて乗客と運転手が言い合いを始めた時です。その表情が大人になったかと思うと、堂々とした態度で二人の間に割って入り仲裁したのです。負けたと思いました。子供なのは自分の方でした。
貧富の差を目の当たりにした旅でした。大きな街に行くと白人の富裕層とインディオの貧困層と目に見えてはっきりと生活が分かれています。店も住まいも食べ物も服も。格差が可視化されている世界です。ショックでした。そんな豊かではない地元の人たちが、日本人の若者に行く先々で親切に声をかけてくれました。生活に必死なはずなのに、明るく生きていました。むしろ豊かであるはずの白人富裕層は硬い表情で何かに怯えているようにバリケードの中で暮らしていました。
生きていれば何とかなる、明日の心配をする暇があれば今日を楽しく生きようよ。言いたいことは言う、したいことをする。でも正義を忘れない。大人な少年の姿から、彼らの生き方を教えてもらった出来事でした。今でもその時の彼の表情、目の輝きははっきりと残っています。60歳に近づいた自分ですが、未だ彼より大人にはなれていません。大人って何だろう。ふと彼の顔と共に浮かんでくる問いです。何かのきっかけがあるのでもなく、ふとした瞬間に浮かんでくるのです。
今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回をお楽しみに。