最近、落語のマクラに使っているネタがあります。カスタマーハラスメント(店員に対して理不尽な要求をする客)の対策でしょうか、とっても丁寧な言葉遣いをする店員さんが増えました。飲食店のテイクアウトで番号札が渡され、順番が来ると当然、番号で呼ばれます。とある弁当屋さんで私の番号が呼ばれました。「ヨン様、ヨン様!」思わず「私、似てますかね?」と言いそうになりました。そうです私の番号は4番でした。何事も度が過ぎるとおかしくなります。今回はサービスについて語ります。
「お客様は神様」という言葉だけが一人歩きをして、間違った解釈が広まりました。元々は歌手の三波春夫さんが「神前で歌うように神聖な気持ちでお客さんの前に立っている」というような話をしたのが、いつの間にかお客さんの神格化という勝手な言い分になってしまいました。神様だから言うことを聞け!というのはあまりにも自分勝手な解釈ですよね。そもそも神様は理不尽な要求をしませんし、人の願いや望みを聞く立場です。本来、商売はモノやサービスのやり取りです。そこに対価として金銭が介在しますが、どちらが上とか下はありません。対等な立場です。またお金を持っているから偉いわけでもないでしょう。モノやサービスに見合ったお金を払う。お金に見合ったモノやサービスを提供する。基本はそういうことです。
さて、このサービスという言葉も英語と日本語では使い方が違います。日本ではビジネスにおいて形のない商品、価値提供なども含めることが多いでしょう。もともとは奉仕、仕えるという意味です。そのためか無料というイメージに引きずられやすい言葉でもあります。私の個人的な印象ですが、日本人は形のないものにお金を払いたがらない傾向にあります。提供する側も「おもてなし」や情報を提供することは、食事や品物を買ってもらうためのオマケのような意識がないでしょうか。モノの価値はお金に換算しやすいです。材料費などから原価が推測できます。ついつい原価と売価を頭の中で計算して、安いか高いかを値踏みしてしまいます。一方サービス業と言われる形のないものに払うお金の妥当性はどのように判断しているでしょうか。人によってかなり幅があります。価値観が違うからです。
一頭の牛からとれる肉はどの部位も同じ牛のものなのに、シャトーブリアンはなぜ高級とされるのでしょうか。牛の立場からすれば「どの肉も俺だよ、場所によって価値が変わるのはおかしいだろ」と文句を言われそうです。しかし、そこには希少価値という人間が勝手につけた情報が加味されます。味も本来は人それぞれの好みなのに「柔らかくて甘い」が美味しいの基準になっています(その傾向がどんどん強まっています)。このようにモノに付け加えられた情報は無形であっても、モノそのものの価値を高める情報には値段がつきます。では、高級レストランで給仕から提供されるサービスに、どんな価値を見出せるでしょうか。シャトーブリアンを頼んだ客と、店で一番安い肉を頼んだ客にサービスの差をつけるでしょうか。一流の店であれば決して差はつけません。提供できるモノや場所、環境は値段によって違います。しかしお客さんによって提供するサービスの質を変えることはありません。以前取材した札幌の老舗ホテルの支配人から聞いた話です。「皇室関係のお客様も一般のお客様でも、おもてなしの心に変わりはありません」しかしそのサービスに値段を意識している人は少ないのではないでしょうか。日本にチップの習慣があれば換算できるのでしょうが。これも日本人が形のないものにお金を払いたがらない理由かもしれません。
物価高の昨今、ますますモノの値段に目が行きがちです。国も減税や給付金といったお金基準の政策を声高に訴えています。しかし、形のないものの価値を高めるための政策や仕組みづくりが必要です。形のないものの方が、価値を高める事ができるからです。情報やアイディアや幸福感を高める時間の提供は、原価が決まっているわけではありません。提供を受ける側の納得感によって価値が決まってきます。優れた半導体を開発、製造することも重要ですが、その半導体を使ってどんなサービスを生み出すかの方がはるかに大事ですし価値を高めます。これからの日本が目指すのは高性能のモノづくりから、高価値のサービスづくりだと思っています。
今回はここまでです。最後まで読んでいただきありがとうございます。また次回をお楽しみに。