久米宏さんが亡くなりました。
憧れの方でした。直接会ったことはありませんでしたが、大学の大先輩であり、アナウンサーの大先輩です。勝手に縁を感じています。久米さんがTBSで局アナとなったのが1967年。私の生まれた年です。日本のテレビニュースに革命を起こしたニュースステーションが終わった時の久米さんの年齢が59歳。今の私の歳です。訃報が届いてから各テレビニュースでの功績を振り返るVTRを、仕事しながら見ていました。ニュースキャスターという仕事をしながら。
久米さんはニュースステーションでの自分の仕事について「キャスターではなくニュースショーの司会者だ」と言っていました。タレント性の高い人でしたが、アナウンサーという基本スタンスはブレずに持っていた人でした。
ザ・ベストテンやぴったしカンカンの時は私は小学生、中学生です。久米さんはテレビの中の人でした。ニュースステーションが始まった1985年は浪人生でした。日航機墜落事故や阪神タイガース優勝のニュースを見ながら「こんなところで俺は何をやってんだ。」と思ったのを覚えています。今からするとあの時、メディアで伝える側に立たなくてはと、この業界を目指す火が心の中に灯ったのだと思います。
久米さんと同じ大学、同じ学部に入学することができました。そこからは現実的な目標として久米さんの番組を見ていました。見ていたというよりも、研究していました。今では当たり前となったスタジオセットや模型、フリップを使った分かりやすい見せ方。言葉のセレクトや、アドリブに見える用意周到な演出などなど。ニュースは「やさしくふかくおもしろく」伝えるものだということを久米さんから間接的に学びました。日本の多くの家庭で、テレビがまだ「お茶の間」にあった時代です。
晴れてアナウンサーとなった私は、いつもどこかで久米さんのようになりたいと思いながら走ってきました。スタイルへの憧れではありません。あれほど軽妙な語り口と憎めないキャラクターを、私は持ち合わせてはいません。しかし、アナウンサーとしての在り方は近づきたいと思っていました。それは自分なりの物事の見方、考え方をもって伝えるということです。
ニュースステーションの終了についての話す久米さんのVTR が流れていました。やめる理由を話していました。今の私の心境に近いなと感じました。久米さんには遠く及びませんが、ニュースキャスターを長くやっていると感じることは一緒なのかなあと、少し近づけたような気がしました。
久米さん、どうぞ安らかに。合掌。

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