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系譜


ミラノ・コルティナ五輪が絶賛開催中です。いやーオリンピックって本当にいいものですね。家の外に積み上がっている大きな雪山を見ながら思うことがあります。この感動と熱狂の舞台が札幌であったかもしれないという妄想です。2026年は札幌が当初冬季オリパラを誘致しようとしていた年です。この先の札幌開催が現時点では見通せない今、想像ではなく妄想です。

今日2月14日時点で14個のメダルを獲得している日本勢です。中でもどさんこ選手が素晴らしい活躍です。私の中での「どさんこ」は北海道ゆかりの人を指します。私自身、神戸生まれですが人生の三分の二を北海道で暮らしてきて「どさんこ」を自負しています。(”どさんこ”という冠のついた番組も担当していますしね)

このオリンピックで感じるのは、オリンピアンやメダリストの系譜です。女子ジャンプで銅メダルを獲得した丸山さんは長野生まれですがジャンプ選手はみんな私の中では”どさんこ”です。国内のジャンプ拠点は何と言っても大倉山です。ナショナルトレセンですから。その丸山さん1998年生まれです。そうです。日本が団体で金メダルをとった伝説の長野五輪、その年に生まれているのです。
私はあの現場にリポーターとしていました。観客席で原田さんの家族を取材していました。みなさんがテレビでよく見る光景とは違う、観客席からの景色が私には強烈に残っているのです。原田さんの「ふーなーきいー」も試合後の夕方になってから知りました。1回目を終えて最悪のコンディションで日本のメダルが遠のいたというのが大方の見方でした。みぞれ混じりの雪の中、まだ小さい長男を抱えた原田さんの奥さんが会場をあとにする後ろ姿。私の中に残る景色です。
2回目で大逆転での金メダル。真っ先に思ったのは原田さんの奥さんとお子さんのことでした。その瞬間は宿で見ていたと、のちに聞きました。「よかった」というのがその時の私の感情です。
プレダッツォのジャンプ台で日本が混合団体で獲得した銅メダルは、あの時からつながるオリンピックストーリーです。髙梨沙羅さんの背負ってきた重荷はみなさんもよく知るところでしょう。「よかった」という感情が自然とわいてきました。原田さん髙梨さんは同じ上川町出身です。

感動の銅メダルをテレビで解説する二人のメダリストを見ました。葛西紀明さんと高橋尚子さんです。私は二人とも取材、テレビ中継でお世話になっています。二人に共通点があります。1972年生まれなんです。そう、札幌五輪の年に生まれているんです。札幌五輪イヤーに生まれたメダリストが長野五輪の年に生まれたメダリストを讃えていました。
1972年の札幌五輪をきっかけにして、子どもたちにジャンプの機会を作ろうと生まれたのが「札幌ジャンプ少年団」です。荒井山で育った少年団出身のメダリストがついに生まれました。二階堂蓮さんです。代表の中村直幹さんも少年団出身です。半世紀の活動がついにオリンピアン、メダリストをうみました。
二階堂蓮さんの父、学さんは私と同い年です。(ちなみに蓮さんは私の三男と同じ年)学さんも元ジャンパーです。現役時代は私が実況しています。1991年の世界選手権代表で葛西さん原田さんらと共に出場しています。まだV字ジャンプ前夜の時代です。その世界選手権の舞台が今回のプレダッツォでした。35年の時を経て親子のジャンプストーリーが描かれたのです。

笠谷さんから始まった冬季五輪の半世紀をこえる長い糸が、様々な形でミラノ・コルティナ五輪に繋がっていることを感じています。もしこの五輪が札幌で開催されていたならば。妄想せずにはいられません。雪不足に悩む冬季五輪開催候補地が多くある中で、大都市にして豪雪の札幌が世界にアスリートの躍動する姿を通じてどんなメッセージを発信できたでしょうか。
そして、もし10年、20年後に札幌での冬季オリパラが実現したら、どんな大会になるでしょう。今回は新時代のオリンピアン・メダリストも札幌から誕生しました。スノーボードの山田琉聖さん工藤璃星さん。ばんけいスキー場育ちです。山田さんは2006年生まれ。トリノ五輪イヤーです。前回のイタリアでの冬季五輪開催地です。これまでの糸を絡めながら新しい系譜がここから始まった気がします。工藤さんは16歳で五輪代表です。もし今年2026年生まれのアスリートが活躍するならば2042年。

札幌2042 妄想はつきません。

今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回もお楽しみに。これからもよろしくネ♪


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