北海道コンサドーレ札幌の2025年シーズンが始まりましたね。岩政新監督のもと最短でのJ1復帰を目指し一緒に戦いたいと思います。そうです。私はコンサドーレサポーターです。筋金入りと自負しています。なんと言っても1996年のクラブ発足前からのサポーターですから。今日はそのきっかけについて少し語りましょう。
1990年に札幌テレビに入社して北海道にきた時にはJリーグはもちろんプロ野球チームも何もありませんでした。北海道、札幌はプロスポーツ不毛の地だったのです。一方でオリンピックのメダリストはたくさんいます。五輪代表というくくりでいえば札幌市内各区に複数人住んでいるぐらいの人数です。決してスポーツ不毛の地ではありません。
そんな中で1992年Jリーグが誕生しました。しかし発足時のオリジナル10に北海道のクラブはありません。当時の札幌市民、北海道民のプロスポーツへの意識はプロ野球の巨人が一年に一度やってくる「興行」というものでした。
地域に根ざしたプロスポーツは単なる「興行」ではありません。街とそこに住む人たちの暮らしを豊かにする「文化」です。それが当たり前だという価値観をあるJリーガーから教えてもらいました。Jリーグがスタートして間もない頃、丸井今井の屋上でJリーガーを招いたイベントがありました。(屋上イベントというのが時代ですね)ゲストが当時JEF市原に所属していて、のちにコンサドーレでもプレーすることになるチェコ出身のパベル選手です。打ち合わせで札幌について話をしている中で彼にこう問われました。
「ところで札幌には何ていうサッカークラブがあるんだい?」
実は札幌にはプロのサッカーチームはないと答えると、彼はとても驚いて「こんな大きな街でスポーツに快適なところなのに何でないんだ?札幌はオリンピックシティだろ?」と信じられないという表情を見せました。この時をきっかけに札幌をプロスポーツのある街にしていくことを自分の仕事のミッションと決めました。
そこに札幌青年会議所の若手経営者たちが「We want J」のスローガンを掲げJリーグチームの誘致活動を始めたのです。先頭に立ったのが石屋製菓の石水勲さんでした。テレビの朝番組でスポーツ情報も伝えていた私は番組で活動を伝えていきました。取材の延長で石水さんや他の経営者の皆さんとススキノで酒を酌み交わしながら夢を語り合いました。
これが私がコンサドーレのサポーターになったきっかけです。続きはまたの機会に。
今日はここまで。読んでいただき、ありがとうございました。