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遠くなる雷鳴

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中東でまた火柱が立ちました。東西の大国によるレコンキスタの舞台はいつもこの地域です。大義は語られていはいますが、根底にあるのは政治的経済的な覇権争いです。そして犠牲になるのは市民です。幾度となく繰り返されてきた光景です。ただ、昔に比べて彼の国の出来事が遠く見えるのは私だけでしょうか。

世はデジタル社会です。今回のニュースも手のひらに収まるスマホという小さな画面で見ています。テレビをつけても、情報バラエティ番組ではニュースの一項目に過ぎません。その中で扱われる映像も現地のものは少なく感じます。大統領が会議室でモニターを見つめる姿で、攻撃を語らせています。
ネット社会になったが故、情報が切断されやすくなった背景もあるようです。スイッチを切るように、あるいはリール映像をスワイプするように、いとも簡単に情報は操作できる世の中になってしまいました。

かつてはCNNやアルジャジーラといった国際メディアが現地の特派員からのリポートや生中継で惨事を肉声で伝えていました。日本のテレビニュースでも連日、その映像が流されていました。平穏な日本の居間にいても世界の叫び声を聞くことが出来ました。さらに遡れば、石油危機でトイレットペーパーが街から消えたように(これは風説流布が原因とされていますが)直接自分の生活に関係する、いわばニュースの手触りがあったと思うのです。

もちろん、これから現地の情報も映像も入ってくるでしょう。それでも、なんだか遠い感じがするのです。ウクライナのことも、ベネズエラのことも、ミャンマーのことも。熱が冷めように関心が薄れ、それに伴ってアルゴリズムの作るタイムラインから情報は消えていきます。人の命が数字になりデータになって消費されているようで歯痒いのです。ニュースの映像、画像には各国の指導者の顔ばかりが並び、市民の顔はかき消されていきます。

名もなき市民ではありません。名前をもった命の叫び声です。その雷鳴が遠くなっていきます。なぜなのか。はっきりとした言葉には出来ない漠然とした不安があります。

今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた次回。これからもヨロシクね♪


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