日本語で世界をつなぐ アナウンサー、日本語教師、落語家、活弁士の宮永真幸のホームページ


消えゆくお茶の間


ミラノ・コルティナオリンピックの熱狂が残る中、WBCが始まりました。しかし、です。オリンピックと大きく違うのは地上波での中継がないことです。国民的スポーツイベントでは初めてのことです。背景には放映権料の高騰という経済的な理由があります。既存の放送局がその権利を取れなかった日本のテレビの深刻な現状がここにあります。詳細には触れませんが、日本文化の土台となってきたお茶の間の危機を語っておきます。

私にとってはショックなニュースがありました。ある調査によると、20代の2割がミラノ・コルティナオリンピックのことを開催されたことさえ知らなかったというのです。興味がないとか、見なかったではなくです。確かに街で私自身がインタビューした感触でも20代の人はほとんど興味をもって見ていませんでした。オリンピックでさえ、これが現実です。テレビの世界の中で見ていると、このギャップを実感することが難しくなっています。世間も盛り上がっているものだと錯覚してしまいます。

日本のテレビは、大衆文化というソフトとお茶の間という場で発展してきました。その相乗効果で様々な日本文化を育んできました。東京オリンピックや皇室のご成婚など国民的行事を通じてテレビが普及してきました。テレビによって全国のお茶の間が同じ物語を見て、共通の価値観を作ってきました。同じ価値観を持った大きな集団、大衆です。テレビが大衆を作ったといっても良いでしょう。戦後の高度経済成長期からバブル時代までは、効果的に機能しました。

学校でも職場でも井戸端会議でも、テレビで流れていたソフトが共通の話題でした。朝ドラ、大河、トレンディドラマ、ドリフやひょうきん族、おニャン子クラブ、そしてプロ野球やオリンピック。お茶の間にテレビ一台の時代につくられた大衆文化です。家族みんなで一つのテレビを見ていました。だから世代を超えた文化が生まれました。

しかしバブル崩壊後、環境が大きく変わりました。1990年にこの業界に入った私は、この変化の波を40年近く泳いできました。途中溺れそうになったこともありました。それでも波が激しいうちは良かったのかもしれません。今は静かな凪のように感じます。
太平洋の真ん中に浮かぶ動力を持たないヨットを思い浮かべてください。自ら動くことも、波風を起こすこともできず静かに漂っているだけです。いずれ食料も水もつきます。なんとか釣り糸を垂れて小さな魚をとり凌いでいます。
その横を最新のエンジンを積んだクルーザーが通り過ぎていきます。ネット配信業者です。彼らが起こす波にヨットは揺られバランスをとるのに必死です。さらにお金を持ったお客さんはヨットからクルーザーに乗り換えていきます。
クルーザーのスタッフがヨットに声をかけます。「お客さんがこっちに来れるようにブリッジをかけてくれないか、手間賃は払うよ」日銭を稼ぎたいヨットはそれに応じます。ヨットは自分のお客さんにカッコいいクルーザーの姿を見せることはできますが、その楽しさを提供することはできません。
「風を読み、波を乗り越え、お客さんと一緒に海の楽しさを作ってきたのは俺たちじゃないか。なのに」
このまま海を漂っていくのか、それとも見切りをつけて陸に上がり土地を買って別の商売を始めるのか。

もはや日本の家庭にお茶の間は無くなりました。必要無くなったといっても良いでしょう。居間はあって家族が集まっても手にしているのは湯呑みではなくスマホです。そこに語らいはありません。家族であってもそれぞれが別の興味、趣味をもちます。共通価値のコミュニティは家の外やネットの中につくられています。それは大衆という大きな塊ではなく、小さなコミュニティの集まりです。それが今の世界です。

果たして今回のWBCは大衆文化を作ることができるのでしょうか?
今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございます。次回をお楽しみに。これからもヨロシクね♪


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP