さらば青春の光

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芸人コンビの話ではありません。人生の中で強烈な光を放った時間が一瞬でもあれば、それは幸せな人生です。そんな話を語ります。

憧れの軽井沢

大学のゼミに続き、サークル関連の同窓会が浅草でありました。何かそういうタイミングなんでしょうね。私が大学生の頃はいわゆるバブルです。光と影を日本の歴史に残した時代です。影の話は今回はさておき、光の面では当時の大学生に大きな恩恵を与えてくれました。バブルと言ってもお金のない学生に身入りがあるわけではありません。しかし当時の社会が学生に”機会”を作ってくれました。その時間が今につながっています。テレビ朝日が毎年夏休みに合わせて軽井沢で「サマーキャンプ」というイベントを開いていました。広場にステージを作り、周りにはスポンサーのブースが並びます。およそ1ヶ月の間、連日イベントを開いていました。そのMCやD Jのバイトをやっていたのが早稲田と慶應を中心とする放送研究会やアナウンス研究会のサークルでした。5、6人のチームが10日間ほどの交代制で期間中は民宿に泊まります。バイトというより合宿です。サークルの中では人気のバイトでしたが、当然オーディション(面接)があります。夏の軽井沢は憧れの場所でもあったのです。当時のテレ朝のプロデューサーが40年ぶりにみんなに会いたいと同窓会が開れることになったのです。

世界で一番熱かった夏

集まったうちの何人かが当時の写真を持ってきてくれました。セピア色の写真です。今と見比べてみるわけですが、本当に変わらないのです。見た目ではなく雰囲気が、個性が(見た目も変わらない人ももちろんいますよ)。なんて贅沢な時間をもらったのだろうと思います。バイトとは言え、スポンサーからお金をいただいているステージイベントです。求めらるのはプロの仕事。社会人としての基礎を作ってくれたのはあの場所でした。何より仕事の楽しさを教えてくれました。テレ朝の社員の皆さんが私たち学生とチームを組んで場所と時間を作り上げていきました。そしてお客さんとスポンサーの笑顔をいただく。それが仕事だと教えてくれたのです。炎天下のステージに焚かれた強烈な太陽のフラッシュが心に焼き付けた風景です。その時に生まれた絆は40年の時を経ても変わらずみんなの中に残っていました。

大人とは

思えばあの時代、社会人の先輩方は皆さん大人でした。学生の心を持ちながら私たちと対等に付き合い、同時にちょっと背伸びして挑戦できる環境と機会を作ってくれました。バブルという時代で、使える予算も会社が認めていたのだと思います。伸び代を引き出す余白を若い世代に与えるための予算です。まんまと参加した学生の多くはマスコミ志望となり、私を含め少なからず業界で仕事をすることになりました。あの夏がなければ全く別の道に進んでいた者もいたでしょう。その直後から失われた30年を社会人として過ごしてきたのが私たちの世代です。振り返ってみると私自身は先輩たちのような大人になれずに来てしまったようです。とにかく自分のことで精一杯でした。もちろん「社会のため」にという仕事の目的はブレてはいません。チームで仕事をすることの大切さも忘れずに来ました。しかし、若い世代に余白をつくってあげるという大人にはなりきれずにいます。それは大人としての余白を自分自身が持ちきれなかったからです。

時代がつくるのか、時代をつくるのか

最近メディアで就職氷河期世代が話題になります。私たちバブル世代と比較されることも多いです。確かに当時の就職率や定職率、平均年収などの数字で見れば、差があることは事実です。それを時代のせいにするのは簡単です。しかしその時代を作ったのは、その時代に生きたすべての人たちです。誰かのせいではありません。ましてやそういった数字は幸せの尺度ではありません。世代で区切るのではなく、時代で見ればこの30年は余白のない時代でした。しかし、余白をつくるのは、ほんの一週間ほどの時間があればいいのです。強烈な青春の光を放つ一瞬があればいいのです。その光が幸せの種になるのです。あの光を浴びて40年が経ちました。恩人のプロデューサーと仲間の顔を見て、ようやく自分にも余白ができたような気がしました。時間はかかりましたが大人として若い世代に、社会に余白を作ってあげられるようになったと思えました。今度は誰かに光を照らす番です。自分に告げます「さらば青春の光」

今回はここまで。最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回をお楽しみに。


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