守破離


参議院選挙が終わりました。何かの始まりを告げるような選挙でした。世はいつの時代も常ならず。変化をし続けています。そのスピードが急激なのか緩やかなのかの違いでしょう。今、私たちは情報の大海原を航海しています。世界中の様々な川から流れ出てくる情報が一つの海に集まり、大きな波や小さな波が次々にやってきます。そんな大情報時代を生き抜くために必要なものは何でしょうか。今話題の映画「国宝」の個人的な感想と併せて語ります。

映画「国宝」が話題になっています。昨年の「侍タイムスリッパー」に続いて邦画のヒット作が生まれるのは映画ファンとしては嬉しいことです。ネット配信全盛期に映画館で見てこそ楽しめる作品は貴重です。大画面の没入感と共に、見知らぬ人たちが一つ所に集まり互いの空気を感じながら見るという緊張感と一体感は映画館でしか生まれないものです。質の高い映画作品にしかその空気感は生み出せません。「国宝」はまさにそんな映画です。歌舞伎の世界を裏表から描いています。時代の変化と共に翻弄される二人の主人公を歌舞伎の背骨とも言える「守破離」をテーマに美しくも悲しく映し出していきます。映画序盤は「守」がテーマです。文字通り骨身に染みるまで基礎が徹底的に鍛えられます。それは肉体的な軸をしっかり作ることで精神的な軸も作るという事です。しっかりとした、それでいてしなやかな軸を持つことです。

誰しも殻をやぶる時がやってきます。雛が巣立つ時です。型ができるとそれを破りたくなる時がきます。「型破り」は型があってできること、型がなければそれは型なし。十八代目中村勘三郎さんの言葉だと聞いた事があります。芸事の真ん中から大きく外れたように見える派手な演技も、軸があるから映えるのでしょう。それは生き方にも通じるものです。歌舞伎役者は仕事を選んだのではなく、生き方を選んだ人たちです。側から見れば間違った方向に破っていく、破天荒な生き方もまた「守」があればこそいずれ自分を助けてくれるのです。

独り立ちの時もまた、自らの意思とは関係のない時代や環境の変化によってもたらされる事があります。例えば勤めていた会社が潰れたり、経営方針が変わったり。新型コロナによる社会の変化は顕著な例でしょう。映画では業と欲が絡み合う人間関係と、血縁というどうにもならない運命が描かれます。否応無しに大海原へと放り出されるのです。荒れ狂う波を乗り越えていかなくてはいけません。自分という船が転覆しないように漕ぎ続けなくてはいけません。その時に必要なのが、バランスをとるためのしなやかな軸「守」と状況を大きな視点で見る事ができる経験「破」です。

新しい時代をつくる事が「離」だとすれば、やはり「守」がなければできません。先の参院選ではどうも「破」ばかりを声高に訴える人が多かったように思えます。聞こえのいいワンフレーズが大きな波になって多くの人を飲み込もうとしています。どんな自分軸を持つのか。今一度「守」を鍛え直す事が大情報航海時代を生き抜く自分という船の羅針盤になるのです。

映画の感想はあくまでも個人的なものです。今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。また次回をお楽しみに。


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